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僕の失敗。マイホーム編。

普通の家造りで満足出来なかった僕。失敗から学び、自分にとって最高の住まいを手に入れた僕とそれを造った変態達の話。僕の失敗。ライフスタイル編も合わせて読んで頂けたら幸いです。

It's better to
burn out than
fade away


これから住まい造りをする人に捧ぐ…

【注文住宅 失敗】住まい造りに関わる全員が全力を尽くせないなら、ヤメたほうがいいんじゃないか論。

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どうも僕です。

 

いつも読んで頂きましてありがとうございます!

 

今回は住まい造りでの心構えについて書きたいと思います。

初めての方は過去のブログからお楽しみ下さい。住まい作りでの体験談を物語り形式で綴っております⇩⇩⇩ 

 

あっ、あと、もう一つブログをやっています。よろしければ是非。連載再開しました最新記事は、僕とある野望を叶えた親友の話の第4話を書いています。

 

 

僕はここぞという時に頑張れずに迷走しました。

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住まい造りに関わる全員が全力を尽くせない環境下で話を進めると、どうなるのか?

 

まず間違いなく失敗します。

 

僕は散々失敗してきました。もうね、絶対ダメですよ。そんな状態で住まい造りをやっちゃ。

 

全力を尽くせないなら、やめたほうがいいです。

 

僕は住まい造りを始めた当初、妻との好みの対立で自分の思い通りにならないことに傷つくのが嫌で「妻のために住まいを造る」という聞こえの良い大義名分を上っ面で宣言しながらも、実態としては自分自身の住まい造りを放棄した時期がありました。

 

この時点で僕が本当に心から妻が喜ぶ住まいを作ることに徹して、妻を喜ばせることが住まい造りの目的であれば、それに全力を尽くすのであれば、それはそれで良かったのかもしれません。

 

しかしながら、結局のところそのようには考えられませんでした。自分自身が未熟ってのもあったんですが、最終的に妻のためだろうとなんだろうと大義名分があったとしても、その住まいには僕も住むからです。

 

僕の住まいでもあるんです。その住まい手である僕が全力を尽くせないなんて、自分で言うのにもなんですが「終わってます」

 

誰かの為という大義名分を掲げたところで、簡単に割り切れませんでした。

 

そんな不本意な想いが源泉となった住まい造りは「諦め」「妥協」「無気力」「無関心」「自暴自棄」のオンパレード。

 

今考えれば、そんな状況で良い住まいなど建つはずはありません。住まい造りで自己犠牲や無関心は決してプラスにはなりません。

 

むしろマイナスになります。

 

聞こえの良い大義名分、無関心の裏に隠された本心が存在することはよくあること。それが住まいを建て終わったあとに表面化した時は目も当てられまえん。

 

しかも、自分でも気がつかない潜在的なニーズなんかもたくさん存在します。

 

全ての住まう人間が満足がいく形での住まい造りこそが、理想の住まい造りなのではないかと考えます。

 

誰かが割を食う住まい、考えることを放棄した無関心な住まい手が関わる住まいなんて建てないほうがいいです。

 

全ての住まい手が満たされるように、全ての住まい手が理想の暮らしを考えることが出来るように、積極的に関わっていくべきであり、またそのような環境を作るべき。

 

そうじゃなかったら、やめたほうがいいんじゃないかしら?(あくまで個人の感想です)

 

造り手が全力を尽くせない環境なら、これもまたやめたほうがいい。

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前章では住まい手のことに言及しましたが、造り手もしかりです。造り手が全力で住まい造りをしない時も、やめたほうがいいです。当たり前ですが…

 

僕が体験したのは、当時商談を進めていた業者は物凄い勢いで着工棟数を伸ばしていました。

 

それだけ支持されているということでもあるんですが、その仕事量をこなすために細やかな打ち合わせが出来ませんでした。

 

なるべく早く建てさせるために、なるべく決算をまたがないように打ち合わせが進められました。

 

また、打ち合わせが難航するようであれば打ち合わせ自体を中断し、決めてから来て欲しいということを暗に示されました。

 

僕自身、住まい造りをするのが初めてだったのと、何を決めればよいのか?もわからない状態であったため、業者側の宣言に困惑した記憶があります。

 

業者側(現場の人間)もそのような対応は不本意だったかもしれませんが、会社の都合上しかたがない対応だったのでしょう。

 

一緒に住まい造りをしていきたいが、会社あっての住まい造り。会社あっての飯の種。現場の人間はそのように考えていたのかもしれません。

 

しかし、それは十分理解はしていましたが、やはり僕にとっては一生に一回の住まい造りであったので受け入れがたいものでした。

 

僕にとってはオンリーワンでも、業者にしたら多くの中の一人のお客。わかってはいるけど、大枚はたいて買うのにそりゃないだろ!っていうのが本心でした。

 

最終的にその業者と住まい造りはしませんでしたが、もしそんな環境を受け入れて住まい造りをしていたら、後悔してもしきれない中途半端な住まいになっていたでしょう。

 

そんな環境下ではお互いが全力が尽くせないことは、火を見るよりも明らかだからです。

 

まぁ、打ち合わせの要素はこれだけではないですが、基本となる環境がこれでは理想の暮らしを見出すこと、様々な懸念を払拭するに至るには困難だと考えざるを得ません。

 

よって、僕はこのような全力を尽くせない環境下での住まい造りをお勧めしません。

 

まとめ

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18 MODEL 四季彩と暮らす住まい|lia Style リアスタイル|それは「会話」から始める家づくり。

なにもかも最初から完璧にこなす状況が整うことはありません。

 

しかし住まい手、造り手が全力を発揮できる状況を整えることは可能であり、全力を尽くすことが出来てはじめて、自分のライフスタイルにあった”より完璧な”住まいが出来るのではないのでしょうか。

 

そのためには…

 

  1. 住まう人すべてが住まいに関心を持たない状況で住まい造りを始めない。 あとで本心が表面化した時に目も当てられません。
  2. 造り手が全力を尽くせない環境で住まい造りを始めない。 住まい手のその後の暮らしよりも、家を建てさせることが目的になる可能性がある。

 

最低でも、この条件がクリア出来るまでは住まい造りは見送ったほうが良いと考えます。

 

これらの条件が整って初めてスタートラインじゃないかしら。その上で、様々な可能性の模索をすれば良いのでは?と思います。

 

それに住まい手、造り手お互いが全力でない状況は人間関係にも影響を与えます。

 

以前、僕が住まい造りをお願いした変態達とのやり取りで、こんなエピソードがあります。

 

ちょうどその時は、玄関のプランについて話し合っていた時です。

 

打ち合わせが少しだけ難航した時がありました。妻と僕の意見が割れたのです。基本プランは合意に至っていたのですが、細かな部分で意見が割れました。

 

その時、よく話しあえばいいものを僕の悪い癖が出て「思い通りに行かないなら、もいいらない!もう好きにしろ!」と言わんばかりに話し合いを放棄したのです。

 

最悪にアホですねw

 

変態プロデューサーは僕のその宣言を受けて、とても悲しそうな目でこう言いました。

 

変態プロデューサー「我々は全力でものづくりをしてるんです。なので僕さんも全力で来てください…」

 

僕はその言葉を受けて、とても申し訳なく思いました。住まい造りに対して、全力を放棄することは全力を尽くしてくれてる関わる人にとても失礼なことだと気が付きました。

 

礼を失すること(全力を放棄すること)は人間関係を放棄するのと同じこと。良い住まいを造ることを放棄することと同義の語。そう思ったのです。

 

僕はそれ以来、本当の意味で全力を投じて住まい造りに取り組みました。

 

そして、様々な問題をクリアしました。全力でやればどんな問題もクリア出来ることを学びました。出来るんです。全力でやって人間関係を築けば。こんな僕でも。

 

繰り返しになりますが、全力でなければこれらのことは成し得なかったでしょう。

 

僕とは別のアプローチで満足のいく住まいを建てた人はたくさんいるでしょうが、僕は住まい造りに関わる人が全力で出来るかどうか?ということを重んじて住まい造りをしました。

 

何かの参考になれば幸いです。

 

ということで、本日も最後まで読んで頂きまして本当にありがとうございます!次回またお会いしましょう!

 

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