どうも僕です。
いつも読んで頂きましてありがとうございます!
今回は僕が最終的に「何を基準に造り手を決めたのか?」について掘り下げて考えます。
初めての方は過去のブログからお楽しみ下さい。住まい作りでの体験談を物語り形式で綴っております⇩⇩⇩
あっ、あと、もう一つブログをやっています。よろしければ是非。最新記事は、僕とある野望を叶えた親友の話の第3話を書いています。
もう一つお知らせを…
僕の記事を広島住宅総合館様のウェブサイトに掲載していただきました。広島で住まい造りをされる方へ情報提供をしているサイトです。是非ご一読くださいませ。
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共感は共感なんだけど、何に共感したの?
ブログでも何回か触れていますが数多のハウスメーカー、工務店をひたすら周り、迷走した僕がなぜ最終的に変態達と住まい造りをしたのか?
予算が合致したから?
相性が良かったから?
意匠性が自分たちの好みだったから?
スペックが十分に希望を満たすから?
ダイニング中心の住まいというコンセプトが良かったから?
まぁ、すべて要素として正しいんですが、それよりも大きいのが「共感」したということが決定打となったのです。
僕のブログでも頻繁に出てくる「共感」というキーワード。
散々このキーワードを使っておいて「じゃあ、なにに共感したんだよ?」「何がそんなにも心を動かしたんだよ?」ということに、ちゃんと言及していなかったので今回は少し掘り下げて書きたいと思います。
最近読んだ本で、物事の大切なことを”木”に例えて表現しているの著書を読みました。
その著書を読んでいて思ったのが「その考え方って住まい造りにも共通するなぁ」っていうこと。
筆者はこのようなことを言っていました。
根や幹がしっかりしていない状態で、枝葉を伸ばしていっても樹木として不健全な状態で傾いてしまうということ。
根や幹がしっかりしているからこそ、枝葉を広範囲に広げていくことが出来るということ。重さに耐えられるということ。
住まい造りをするうえで、ベースとなる原理原則がしっかりしていないと結局は小手先のテクニックに頼った、見栄えだけはそれっぽい、なんちゃって注文住宅になりかねません。
ベースがしっかりしているからこそ、ディティールが活きてきたり、表現力が豊かになるのだと僕は思います。
住まい造りで「根、幹、枝葉」って何?
僕が自分の体験をもとに考える住まい造りの根の部分は…
- それまでの造り手の経験、知識、暮らすということへの理解度。
- 住まいに関わることのみならず、あらゆることへの広い見識、情報。(様々な趣味やファッション等)
- 会社の環境、状況。(会社の都合を優先した住まい造りをしていないか?など)
人それぞれ、いろんな見方があるので一概には言えませんが、僕が見た部分は上記のことです。
どんな背景、経験をしてきた造り手なのか?その背景、経験の延長上にはどんな住まいが待っているのか?を想像しました。
そして、家を売るということよりも、暮らすということに着目しているかどうかは非常に大切な判断基準だと考えます。家の目的は買うことではなく、暮らすことなので。
また、住まいに関わることだけでなく、それ以外のことに対しても広い見識があるかどうかも重要だと考えます。
住まいにはあらゆる要素が盛り込まれます。家を建てる上で趣味を叶えるということもたたあります。
趣味についての見識がなければ、その趣味をどう叶えたら良いかわかりません。住まいとして成立させ、且つ趣味も叶えるためには両方の知識が必要になります。
住まい手の趣味趣向は多岐に渡ります。広い見識、情報はあればあるだけ共通の言語が増えます。住まい手の頭のなかの「何か」が伝わりやすくなります。
伝わりやすくなればなるほど、よりイメージに近いものが表現できます。つまり、より満足のいく形で具現化出来るのです。
住まいが完成した後で「確かに表現したいことはわかるんだけど、ちょっと違うんだよなー」がなくなるのです。
よく住宅メーカー、工務店のスタッフ紹介なんかのプロフィールで趣味を記載していることがありますが、僕は個人的に重要視していました。
人となりがわかるから。
結局、根の部分って何かっていうと「人」だと思うんです。何を作るか?も大切ですが、何を作るにしてもまずは「人」
誰が作るか?で結果が大きく変わってくると思うんです。どれだけの背景、知識、情報、理解度をも持った人間が、どれだけ寄り添ってくれるか?
これが根の部分の正体だと考えます。
そして会社の環境、状況についてはこう考えます。
その根の正体である「人」が最大限ポテンシャルを発揮出来る環境が整っているかどうか?
会社の都合を優先せざる得ない環境ではないかどうか?これは事業である以上、利益を優先しなければいけないことは理解しています。
僕も小売業界に長くいるので、仕方のないことだと思ってます。
会社都合で売らなければならないものや、しなければいけないキャンペーン。やってはいけないこと。などなど会社を存続させて自身の食い扶持を確保するためには必要なことです。
しかしながら、あからさまに住まい手を置き去りにして、ゴリゴリに利益を追求した住まい造りは受け入れがたい。
さらに、会社の都合によって制約がかけられ、造り手の表現、世界観が具現化出来ない環境って、住まい手および造り手にとってストレスしかないと思うんです。
全部が全部、住まい手に寄り添ったものを!とまでは言いませんが、ちゃんとバランスが取れているかどうかは「人」を活かす上で必須ではないでしょうか。
すみません…まだまだ書きたいのですが、凄く長くなってしまったので今回はここまでにします。
続きは次回書きます…
今日のまとめ。僕が思う造り手を決める時の判断基準は…
- 造りての背景、知識、経験、暮らすという理解度は大切な判断基準。
- 造り手は住まい造りだけでなく、様々な趣味趣向の見識が広いかどうか?
- 造りて手がポテンシャルが発揮できるように、会社の環境が整っているかどうか?
ということで、本日も最後まで読んで頂きまして本当にありがとうございます!次回またお会いしましょう!
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